彩色日記

その日を彩った出来事を毎日更新するブログです

もはや日記と呼べない何か。 2023.05.24

 言い訳からスタートします。帰ってきたら疲れてたらしくそのままねちゃってたんですよね。忘れてたわけではない。

 

 今日はコミュニケーション能力というか人間としての話。今日というか昨日は、とある授業で平行世界線上の僕と接すことができた。見た目では他にもっと優れた人がいるけれど、頭がよくて、明るくて、友達もいるっぽくて、質問とかのコミュニケーション能力も兼ね備えている。これは成功した世界線の僕ではないか。

 

 どこで間違えたか僕は人の目すら見ることができない本物の障害者になってしまった。そう、僕の人生はある一点以前以後に分かれている。以前の僕は自分でも嫌いではないし、明るかった。「嫌いではない」というか、もはや別人すぎて別の人を見ている感覚に近い。直視するには眩しすぎる未来が待っている僕がいた。けど、以後の僕はもう終わっている。自分の写真すら自分でみるのも大きく躊躇う。そもそも「以後」に取った写真は多分両手で数えられるくらいだろう。いつしかカメラのレンズすら直視できなくなっていた。

 

 今日(というか昨日)のその授業の人が羨ましい。僕も本当はそんな感じになっているはずだったんだよ。もしかしたらここにいないかもしれないんだよ。わからないことは教えを乞うことができて、発表の場では積極的な発言ができて。そんな成長を遂げていれば僕はここにいない。

 

 僕だって望む人生なら、学園祭で軽音のボーカルで一躍有名になりたかった。普段は普通だけどやったらあんなにできるんだ、要は爪を隠す能ある鷹のような人になりたかった。

 

 その授業の人はとても幸せそうだった。僕と君とでは同じ初対面なのになぜそんな振る舞いができるんだい?なんでそんなに積極的に話を振れるんだい?そんな「いたはずの僕」の姿に感動を覚えた直後には、僕は独りが恋しくなっていた。独りで音楽を聴く帰路の居心地の良さは僕の心を掴んで離さない。