彩色日記

その日を彩った出来事を毎日更新するブログです

寄り添いのありがたみ。 2023.06.27

 午前0時の森って番組が最近ちょい変わって、つまるところの陰に寄り添う番組になっている。

 

 明らかなように、その内容は僕にとって共感しかないようなテレビ史にとって珍しいもの。若林がこちら側なのは知ってたことであったが、意外と芸能界にもそんな人が多いんだなと驚き。芸能界にアスファルトと睨み合いしてる人がいるとは思わないじゃないですか。

 

 僕の「思考回路の余計な経由」が僕だけのものじゃないんだと。展開を余計に先読みしてしまう人が僕以外にもいるって事実は多少なりとも肩の荷を下ろしてくれる。

 

 でもそれで僕の将来展望が明転するかと言われればそういうことではない。芸能界というのはかなり広い範囲の人を受け入れる場所だから、陰とか人格に難ありでも生きていけるのであって、普通の社会で生活することを考えればこの番組は何の解決にもなってくれてはいない。さてどうすれば良いだろうか。シンプルに。

謎めく心理。 2023.06.26

 今日は良いことがあったとかそんなレベルではない。自分史に深く刻み込まれるような一日かもしれない。

 

 今日初めて、他の授業で見知った女の人に話しかけられるという偉業を達成した。いや特になにか努力したとかそういう訳じゃないのだが。これはもう二度とないかもしれない。一応念を押しておくとそれから深く話し込んだとかまでには至っていない。ただ一言話しかけてもらっただけと言えばだけ。

 

 それに際して思ったのは、わざわざ他の授業で関わりたいと多少なりとも思う人がいるんだと。僕としては「業務上の関係」以上でも以下でもないと考えていたので。

 

 その相手が「なんで他人みたいな(フリするの)」的なニュアンスで、僕としてはいやその通りですやんか、他の授業では他人同然ですやんと、まさに「業務上の関係」を象徴するようなアクションを取ってしまいました。如何にも日陰のやりそうなこと。もしも仮に赤点のリアクションで恥をかかせてしまったなら申し訳ない。

 

 何はともあれ自分としては今日何も悪い出来事のない良い日だった。夏休み後半の内容のない日記の結びみたくなってしまったが事実その通りだった。ある程度成熟した今になって「悪くない日」の良さを痛感している。きっと僕の今日の出来事なんぞ一軍の方々にとっては日常なんだろうが、ベンチの補欠である僕はそんな「日常」のすばらしさをありがたく享受できる。これもまた良き哉、と思う。

努力量懸念。 2023.06.25

 僕は実際問題他人と比べて努力量は足りているんだろうか。本当は他人と比べるのは好きではないのだが、人間が足りない僕にとって努力まで足りないとすればそれは死活問題。比べるのも致し方ない。

 

 どれほどの努力があれば安定した将来を手に入れられるか。そもそも努力の方向すらきまってない。

 

 どっかで「ホームに飛び込む」という最終手段がよぎるせいで真面目に考えられない。自己肯定感の低さがこのような作用を持つとは考えもしなかった。自害なんて結局できないんだから真剣に考えなければならないのに。そう思いながらもまた春眠を貪る日々。

現実逃避の常習犯。 2023.06.22

 コンテンツが溢れかえる現代では現実逃避も簡単。それと、色々投稿されている動画をみれば過去の史料から未来予想図まで簡単に手に入る。タイムスリップとは、私には与り知らないところで可能になっていたと、よく考えればそういうことかもしれませんね。

 

 もしもデロリアンが乗り放題だったら、ということになればそれはもう時間などいくらあってもたりないなあと、何度空想したか計り知れません。でも先述したように、実はそれがもう近い形で実現していると考えれば、やっぱり時間が足りません。コンテンツ大量消費社会は、今この瞬間に生産、発信、受信されているコンテンツが増えているだけではなくて、発信できるコンテンツのレンジの拡大も一因になっているとも取れるかもしれない。なんか言語化が難しいし正しいかもわからない。

 

 結局はこう分析することで言い訳の正当性を押し付けるだけなのでした。

現世に女神は実在した? 2023.06.21

 少なくとも表面上は、普通に接してくれてありがとう。コミュ障を苦しめた窮地から救ってくれてありがとう。やっぱり真の「陽」様は誰にも微笑んでくれる。少なくとも業務上においては。でもあんまり業務上業務上と言って好意からの行為(洒落てない)を不意にしたくない。だからただただ感謝する他にない。陰と陽の架け橋になってくれるあなたは、誇張でもない女神です。

 

 その気遣いに感動して泣き疲れた僕の心は、今日は病むことすら忘れて束の間の休息を手に入れた。